凸凹女子大生✖️スペイン留学

憧れのスペイン留学🇪🇸夢を追って、前向きに、後悔のない日々を。誰かの役に立てるように。

【スペイン留学準備編】ビザ申請期間と海外旅行が重なってしまったらどうする?

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 ビザ申請中は海外旅行に行ける?

ビザ申請の際パスポートを大使館に預けなくてはいけません。提出中はもちろんパスポートが使えません。

…ということを、お恥ずかしい話、知りませんでした。

ビザ申請には1ヶ月〜2ヶ月かかります。私は3月末に出国するので、1月中には申請しておかなくてはいけません。

しかし、申請期間中に海外旅行の予約を取ってしまっていました。「最悪、旅行キャンセルか…」と自分の確認不足に嘆きつつ、ひとまず大使館に問い合わせることにしました。都内近郊に住んでいるので、直接聞いた方が手っ取り早い!とフッ軽が発動し、初・スペイン大使館に赴きました!

 パスポートは「一時返却」してもらえる!

わたしが申請したのは学生長期ビザなので、海外旅行等パスポートの一時的な返却が必要な場合、一定条件を守れば一時返却可能だそうです!大使館に行けばその説明が記載されたプリントがもらえました。

パスポート一時返却の条件

  1.  大使館が発送予定の査証認定通知書の発行日より、60日以内に必ず日本に帰国し更に、ビザを受領すること。
  2. 日本への帰国後、パスポートを提出してからスペインへの再出発までに最低4〜5日間、(土・日・祝日を含まない)ビザを発給するまでに必要。
  3. 留守中の連絡先(返信用封筒の宛先、電話番号)をきちんと伝えておく。また、留守中の日本における代理人をたて、必要な場合は代理人を通じて連絡を取れるようにすること。

ただし、申請日からカウントして過去6ヶ月間、EU加盟国に90日間滞在していて再度EU渡航したい場合は、一時返却不可だそうです。

 

パスポート再提出の際は直接大使館に提出しに行くか、郵送でも可能だそうです。

私は簡易書留で郵送しました。

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございました!

Hasta luego🇪🇸

はじめまして。さばのみそに

さばのみそに の自己紹介

 はじめまして。大学3年生(21歳)さばのみそに と申します。

大学を1年休学して、2019年4月からスペインに8ヶ月間留学します。

留学するにあたって自己の20年間を振り返ると、悩みの尽きない人生です。

私のちょっと変わった特性をお話ししたうえで、留学に対する熱い思いを知っていただきたいです。

この記事をたくさんの人に読んでもらいたいと思っています。

 

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20歳のとき、発達障害と診断された

さばのはADHDASD(アスペルガー)をもっています。成長とともに症状が顕著に現れ、20歳になってから初めて診断されました。

私の20年間はずっと謎だった「できない病」との戦いでした。

「変わった子」と呼ばれ

小さい頃から、同級生に比べて何をするにも遅く、性格は内気で、運動もダメダメで、プリキュアラブ&ベリーには一切目もくれずゲームと少年コミックにはまり、世界地図に夢中になったり国旗を覚えようとしたり、よく「変わってるね」といわれる子供時代でした。「自分は周りと何か違うなあ」とモヤモヤする日々を過ごしていました。小・中学生の時は、忘れ物常習犯&授業中の課題が終わらず居残り常習犯+給食残し魔だったので、親や先生にしょっちゅう怒られていました。整理がとことん苦手なので、物心ついた時から現在に至るまで、身の回りは常にグチャグチャです。

悩める10代

仲のいい友達も多く、文化系の部活にも入り、一見順調に見られる学生生活を送っていました。コミュニケーションに問題がないのは女性の発達障害に特有で(発達障害の症状には性差があると最近では明らかになっています)発達障害だと気づきにくいと言われる所以です。

しかし、自分の中で周りとの違いは膨らむ一方でした。例えば、勉強は好きな方で授業もきちんと真面目に聞いているのに、どうしても数学と理科系の科目が全然できないのです。先生や友達の協力も借りながら勉強しても、赤点ギリギリの点数ばかり取っていました。数学に関しては算数から苦手で、今でも簡単な計算すらパッとできません。九九を覚えるのも人一倍苦労した記憶があります。数字が頭の中で処理できていないみたいです。そのほかにも ・集団行動が苦手・指示がわからない・相変わらず忘れ物クイーン・体育は地獄・朝が苦手・体調崩しやすい・というか学校行きたくない・・・など悩みは尽きませんでした。

なぜみんなが普通にできることが自分にはこんなにできないのだろう?きっと自分だけ「できない病」という病気なんだ。今は親や先生に守られているから生きていけるけれど、社会に出たらきっと何もできなくて自分はうつ病になる。そう思うようになりました。

ようやく自分が何者なのかわかった

大学生になって、バイト経験や幅広い人付き合いが増える中で、生きづらさが浮き彫りになりました。悩みも増え、体調を崩す日も多くなりました。

そしてついに、自分でネットで調べて出てきた発達障害という言葉に出会いました。最初は親にも言えず、勇気を出して一人で病院に行きました。そこで初めて、自分が何者なのか先生が説明してくれました。

健常者の方よりも苦手なことが多いです。例えば、聴覚過敏で電車の音や話し声が人混みが苦手で、たま〜にパニックになることもあります。(私の場合のパニックとは、暴れたり叫んだりするのではなく殻に閉じこもって動けなくなることです。気分が落ち込み涙が滝のように流れ、そうなるともうその日1日は落ち込んだままです。)苦手なことが多すぎて、親や彼氏にもたくさん迷惑をかけました。でも、できるだけ前向きに、自分らしく生きたいように生きよう、と未来を模索する日々が始まりました。自分自身で未来を切り開き、誰かの力になれるような、強い女性になろう。

発達障害者の留学は難しいのか

基本的な家事は不器用で苦手で、予定を立てたり、時間通りに動くのがまあ苦手です。留学は、自分のことはすべて自分でやらなくてはいけません。親元を離れて長期間生活するのは人生で初めてのことです。果たして人間の生活ができるのか…勉強もしながら。想像をはるかに超えてハードな気がしますが、自分で選んだことなので頑張ります。一人で一人前に生きていくための修行と言ってもいいかもしれません。しかし、誰から指示されることも怒られることもなく、好きなことをできる自由な時間でもあります。目一杯充実させたいと思います。

スペインを選んだわけ

世界史が大好き

小学生の頃から歴史の授業が大好きで、偉人の本を読み漁っていました。高校で世界史と出会い、一瞬で世界史の虜になりました。世界史を極めたい一心で勉強し、成績は常に校内1位(世界史だけ)、大学は史学科に入りました。興味の幅は広いのですが、特にイスラーム世界・女性史・中世スペイン史が大好きです。特にスペインはキリスト教イスラームの文化が混ざり合った独自の歴史を作り上げ、今でも魅力的に輝く街並みや文化や独特な国風に私は強く惹きつけられました。

スペイン語との出会い

大学で1年次に第二外国語スペイン語を専攻したのがスペイン語との出会いです。 授業中に言語だけでなくスペインの文化や風習をたくさん教えてくれる楽しい先生だったので、スペインに対する憧れが一層強まりました。

留学への決め手となった出来事は、2年次にスペイン語の史料講読を教示してくれたアメリカ・中南米・スペイン史の教授との出会いでした。この先生もまた、スペインや中南米の様々な面白い話をしてくれる先生で、熱心にスペイン語の指導をしてくださいました。スペイン語をもっと話せるようになりたい、という意欲がどんどん湧き、最終的に留学を決意したのです。

価値のある経験をしたい(カンボジアで学校建てる大学生にはならない)

最近の異常な傾向だと思うのですが、就活のために留学したりカンボジアに学校建てにいく大学生がやたらと多い。低価格でボランティアに行けるプログラムを売りにするエージェントが増えていますが、そんなに学校建てる必要ありますか?

建ててからの維持の方が大変で、現地の人々を職員として採用して教育して、子供たちが良質な教育を長く受けられるように安価な教科書を作って、というかまず貧しいから学校に通えない子が多いのだから子供が学校に通えるための家庭へのサポートが必要で、、、 

無責任に学校だけ建ててやりきった感出してその経験を踏み台に日本の優良企業に就職して安心してる若者がガチしょーもないと思っています。(ごめんなさい)

人のために何かしたいなら、自分の土俵で惜しまず努力を続けて、誰かに力を貸せるほど強い人間にならないとダメだと思います。わたしは第一ステップとしてスペイン語を一生懸命学びます。

父への憧れ

私が生まれた時から海外で人のために仕事していた父。どこへ行っても現地の人から頼りにされていた父の姿を誇りに思っています。父のように「国際人」となってものごとの価値観を多方面から考えられる豊かな人間でありたいです。

将来は人の苦しみに共感できる豊かな人間になりたい

大学3年の時に半年間とある企業でインターンをしていました。その会社は女性の健康を支援する様々な取り組みを行っていて、特に不妊治療中の方向けの情報発信をしていました。不妊治療に悩む人が多いことや費用が高いこと、それらに伴う女性の社会での生き方の難しさ。仕事をしたいと思う女性が増える一方、日本の会社はまだまだ女性が働きやすいとは言えない環境ばかりです。この事実を、インターンを始めるまで知りませんでした。同時に、私の同世代では知らない人がほとんどだということもわかりました。「不妊治療」「女性の社会進出」など、当事者にならないと考える機会はほとんどありません。情報を発信することがいかに必要か、ということを実感しました。

日本は先進国で国民の多くは裕福ですが、助けを必要とする人々は存在します。豊かな国だからと言って、国民の幸福度とGDPの高さは比例していないように思います。日本人は同調意識が強いため、人と違うと後ろ指を指され、他人の顔色を伺って空気を読まないと社会的に生きていけません。圧力に耐えられずに自殺してしまう人がこれほどまでに多いのは異常なことだと思います。

何度も傷つき苦しんだ人にしか、他人の心の痛みはわからないと思います。私自身、大学のゼミで馴染めなかったとき、無知な同級生の女の子の言葉に何度も傷つき、死にたいと思うほど泣きました。彼女がこのまま社会に出て、また違う誰かのことを傷つけてしまうと思うと怖いです。自分が苦しんだからこそ誰かに優しくできる人でありたい、そういう人が増やしたい。それは、凸凹という試練を与えられた私にできることだと思っています。